はじめまして、KNOCK ON WOOD のRYOと申します。
この度はこのサイトにきていただきありがとうございます。
このサイトでは、私の経験、スキル、趣味を活かして、みなさんが「優雅な暮らし」になるようなお役立ちを目的としています。
私は現在宮城県仙台市に在住する53歳(2025年1月)の妻子を持つサラリーマンです。
人生は短いとよく言われます。
今まで友人と酒を飲んで楽しんだり、ギターに没頭したり、結婚し子供を育て、収入を得るためサラリーマンとして給料を稼いだりと、それなりに突っ走って来た感じはします。
これから80歳まで生きると仮定すると、あと約30年。
まだまだやりたいことがたくさんあるので、今までのように頭の中で優先順位をつけてやろうとすると、やっぱり偏った行動になっていることに気づきました。
これからは計画的に進捗を管理してやって行こうと決めました。
具体的には、【ブログの記事を書くこと】【ブログの勉強をすること】【株投資の勉強をすること】【物作りをすること】【整理整頓をすること】【記事・資料整理をすること】【ギター練習をすること】を計画的にやっていこうと思っています。
けっこう色々やりたいことあるんです。
これらの内容を公開してみなさんに情報を提供していきたいと考えています。
はじめての就職

私の職業経歴をご紹介します。
大学を卒業後、就職先を試みた先はどこの企業も興味がなく、大学が就職案内を掲示していたところに「〇〇経営顧問室」というものがありました。
自分の勝手な想像で「経営コンサルタント」かなと思いその「〇〇経営顧問室」に面接訪問に行きました。
そしたら、要は「税理士事務所」だったのです。
当時の私は、税理士業務はどのようなのかも知らず、簿記の資格も無く、はっきり言って私自身が「場違い」な訪問者と感じました。
そこの「〇〇顧問室」の面接した方が、後日試験日程を伝えると言いましたが、私は興味もなく、しかも再度試験のために訪れるのが面倒と思い、このまま試験を要望したところ、実施を受け入れてくれました。
試験を終えた後、もうこの「〇〇顧問室」に来ることは二度とないな、と思いながら帰宅したのですが、後日、なんと! 合格通知が届きました。
でも、特にうれしい気持ちもなく、戸惑いの気持ちが大きかったのを覚えています。
これも何かの縁、だめなら・いやなら・肌に合わないならいつ辞めてもいいという想いで就職を決意しました。
これが私の経理や社会保険業務を身につけるきっかけとなりました。
その「〇〇顧問室」という税理士事務所では、企業の税務申告業務に対する働く興味はわきませんでしたが、コツコツ勉強しながら日商簿記2級までは取得し、3年9カ月まで粘って働きました。
私自身は十分ガマンした方かな、合格でしょう、と評価しています。
次の仕事は・・・
波動経営研究所
当時の職探しの手段は書店やコンビニに「求人情報」雑誌が販売していたのでこれを購入して探していました。
これまた「~経営」というワードを目に入ったので「どんな会社なんだろう?」と思い、その会社に面接に行きました。
会社概要の説明を受けたところ、「波動測定器」を販売する会社だと。
「波動測定器」って何だ?
ざっくり言うと、弁当箱をもう少し大きくした位のBOX型の「波動測定器」をノートパソコンにつないで、人間や野菜・飲み物などの「波動値」を図るというもので、それを販売する会社だと。
そして、その「波動測定器」を販売する営業職と言われました。
営業か・・・。
ようわからん会社でようわからんものを営業して売るなんてとても恐ろしい、でも収入を得て生活を維持しなければと思い、まだ20代だしチャレンジしようと就職を決めました。
「波動測定器」は医療機器ではないので、病院への営業はできず、接骨院・カイロプラクティック・整体など経営しているところへ行くのが主体でした。
この就職した会社の経営者は、「波動測定器」を打って一発もうけてやろうという「たたき上げ」の雰囲気プンプンで、社内の空気が「ヤ〇ザ」っぽく、働いている先輩営業たちも今まであやしい商売してたんじゃないかというオーラを出していました。
とんだ会社に入ってしまった、と毎日不安の日々を送っていました。
しかし、唯一あやしい先輩の中に優しく接してくれた方がいたので働く意欲が少しだけありました。
営業活動では、「波動測定器」を理解してくれる方を見つけることが難しい、そして1台300万円位する機器を売る営業はとても厳しいものでした。
その会社のやはり売れず、社員がバタバタと辞めていく状況なっていき、安月給で前職でもらった少しばかりの退職金をたよりに生活していましたが、とうとうなくなるまで追い詰められて辞めることになりました。
結局、約2か月位しかこの会社にはいませんでした。
営業活動は自己負担で車を使って活動し、飛び込み営業でとんでもない会社でしたが、「度胸」はつきました。
今思うといい経験でした。
生活のため色んな会社で働く
私が離職した頃は、バブル経済が崩壊し景気低迷で正社員を求める企業が減ってくるとともに、派遣社員を求める傾向になってきました。
しょうがなく派遣会社へ登録し、仕事が来るのを待つ形となりました。
その間、建築関係のアルバイトで食いつなぐという、綱渡り的な生活でした。
派遣される仕事も数件こなしましたが、契約期間が数か月というものを何回か繰り返しました。
派遣社員からそのまま正社員へ
この頃は正直なところ正社員として雇ってくれるところがあるのだろうかという不安がありました。
なんせ、就職氷河期ですから、正社員になれない場合はずっと派遣社員のままですからね、人生の分かれ道といってもおおげさではない状況でした。
そんな時、派遣会社から現在正社員として働いている会社を紹介されました。
その会社はちょうど経理事務・給与計算・社会保険などの労務関連届出などのスキルを持つ人材を探しているところで、とてもラッキーなタイミングで派遣として働くことになりました。
働く環境は良く、私のスキルを十分に活用できる仕事にありつけました。
ここまで来れば自分の土俵です、会社もこの人材を逃すまいと感じたのではないでしょうか。
就職して感じたこと
今も(2023年10月現在)も同じ会社に勤めて20年以上経過します。
20~30代のうちは、どういう仕事がしたいか迷いがあり、離職もすることでしょう。
その間は、資格や社会に認められるスキルを身に付けておくことで、就職する際には自分のセールスポイントとしてアピールできるようにしておくべきです。
手ぶらでは強みがありませんし、例え雇われても消耗品か社畜として使われる場合もあります。
また、若いうちは積極的に外に出て色々な経験をし、自分の「引き出し(タンス・収納BOX)」をたくさん作るべきです。
そして、自分の左右のヒジで両側を押し広げ、「末広がり」をしていくイメージを持って下さい。
年齢を重ねると、結婚・育児・体力低下などの制約が出てきます。
そうすると、私の職場の人たちを見ている限りですが、「尻すぼみ」がちになっていきます。
若いうちにポジティブ・アクティブなスタンスでいると仕事の変化や社会環境変化に対応する時に必ず役に立ちます。
私が初めて就職した頃はまだWindowsのOSは世に出ていませんでした。
その後登場し、PCでEXCELやWordの操作方法を見につけていくことや、インターネットを利用する仕事スタイルが加わっていきました。
現代は、私が就職した時よりも資格取得やEXCELやWordなどのPCを使ったスキルは当然のこと、更にプラグラミングやデータサイエンス的な知識や生成AIの活用など覚えなければいけないことがたくさんあり大変な時代だと感じます。
これらのスキルを身に付けるそして最新の情報にキャッチアップするためには常日頃から自分の「引き出し(タンス・収納BOX)」をたくさん作る気持ちが必要です。